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【Interview】応援メッセージ:棚園正一さん


学校へ行けない僕が、大人になって

漫画家
棚園 正一 さん

©棚園正一/双葉社

棚園 正一さん

 2015年2月に発行された『学校へ行けない僕と9人の先生』(発行:双葉社)は漫画家・棚園正一さんの「不登校体験」を描いたノンフィクション漫画です。
 9人の先生との出会いと別れを軸に、「学校に行けない」少年の心の葛藤がリアルに描かれています。様々な先生との出会いの中で、棚園さんが最後に出会ったのは、たまたま知人に紹介された『ドラゴンボール』の作者・鳥山明先生。「不登校の子どもと著名な漫画家との出会い」という、その数奇なエピソードも各メディアで取り上げられ話題を呼びました。
 今回はそんな棚園さんに、ご自身の作品について、また漫画では語られなかったその後のお話や、大人になった今だからこそ分かる「学校に行けない僕」について詳しくお話いただきました。


—— 最初に漫画『学校に行けない僕と9人の先生』についてお聞かせください。

『学校に行けない僕と9人の先生』は僕の体験を正直に描くことがテーマでした。別に誰を悪者にするわけでもなく、良い者にするわけでもなく、不登校だった過去を淡々と描いた漫画です。
 自分の過去を描くことに葛藤みたいなものは全然なかったんですが、最初は「僕の体験なんて描いて面白いかな?」と確信もなく始まった連載でした。でも予想以上に評判が良くて、たくさんの方から「元気が出ました」とか「勇気をもらいました」と言ってもらえて、今は本当に描いて良かったと思っています。

—— 漫画では、先生や親御さんが「なんとか学校に通って欲しい」という登校刺激のシーンが所々に出てきますが、当時は「ゆっくりさせて欲しい、構わないで欲しい」という気持ちはあったのでしょうか?

 人にもよると思うんですが、僕は寂しがり屋なので「構わないで」とは思っていなかったかもしれません。「関わって欲しい」とは思うんですが、「学校に行っていない子だから優しくしよう」とか気を遣われている感じが子どもながらに伝わってきて、それが嫌だなと思っていたんだと思います。自分が招いたことなので勝手なんですが…。
 でも当時僕が「嫌だな」と思っていた先生たちの気持ちや対応って、今大人になると「分からないでもないな」と思うんです。僕も漫画を描く傍ら専門学校で絵の講師をさせてもらっていて、悩んでる生徒になんて言えばいいのか、迷うことばかりです。学校の先生のようにがっつり、生徒と関わるわけではないですが、それでも難しい。だからこそ当時を思い出して「相手の声をちゃんと聞くことが大事なのかな」とか考えたりしています。

—— 様々な先生と出会う中、『ドラゴンボール』の作者・鳥山明先生とも対面しますが、その出会いは棚園さんにとってどのようなものでしたか?

 鳥山明先生と出会ったのは中学生の段階だったんですが、小学校低学年から不登校だった僕は、それまで世の中に自分の居場所がない気がしていたんです。家で漫画を描いて過ごす日々で、そんなとき鳥山先生と出会い、漫画を見てもらい、褒めてもらうというローテーションが僕の生きる世界みたいになりました。
 よく保護者の方から「うちの子の場合は得意なものもないし、有名人と知り合いなわけでもないし、どうしたらいいかしら」という質問をいただきます。確かに著名なプロの漫画家さんに出会えた僕はとても幸運でした。でも、自分にとっては有名な漫画家さんに会えた嬉しさ以上に、ただ自分の漫画を認めてくれて、褒めてくれる人ができたことがものすごく嬉しかったんです。学校の先生たちももちろん褒めてくれたり「うまいね」と言ってくれるんですが、その言葉の先には学校に来て欲しいという気持ちを強く感じることも…。だから不登校も何も関係なく、褒めてくれる存在がものすごくありがたかった。
 僕はたまたま鳥山先生でしたが、自分が好意を寄せている第三者ならそれは誰でもいいと思います。近所のおじさんでも、習い事の先生でもいいので、自分の存在意義をちゃんと確立してくれる人がいることがパワーをくれるんです。

——「うちの子は好きなことがない」と思われる保護者もいますが、好きなことはどう見つけるのがいいと思いますか?

 学校に行っていない時って時間はたっぷりあるのでお子さんは必ず家や部屋で何かやっているはずなんです。保護者の方から詳しくお話を聞くと「ずっとゲームをやっている」とか、「テレビばかり見ている」と話されていて、「それが好きなものじゃないかな?」と僕は思います。ただ「絵を描く」みたいに分かりやすく形作られていないから、「ない」と見えてしまうのはすごくもったいない。ゲームでもテレビでもその気持ちを育てれば、きっと「好きなもの」、「得意なもの」として形になっていくと思います。

—— 漫画で描かれた、その後はどうされたのでしょうか?

 中学校を卒業した後は、そのまま専門学校に2年行って、その後に定時制高校に通いました。しかしそちらは当時やんちゃなタイプが多くて、「ちょっと違うな」と思って、途中から大検予備校(大検:現在の高校卒業程度認定試験)の『河合塾コスモ』に通いました。そちらには不登校を経験した子もいましたし、帰国子女とかいろんなタイプの生徒がいて、学校に行っていないことがデメリットだと感じていない人たちが少なからずいて新鮮でした。授業を教えてくれる先生も、いかにも先生という感じではなくて、ゼミとかイベントも多かったのも通いやすかったですね。なんだかキラキラした子が多くて、専門学校では年上の人ばかりだったので、初めて同年代の友達と心から楽しめた瞬間でした。
 大検に合格してからは、美術大学に入って、そこでの4年間も充実していました。勉強も大人に近づくとどんどん自分の好きな勉強ができて楽しくて、「学校に行けない」という負い目はその辺からまったくなくなりました。

—— 大人になり、不登校の子たちやその保護者と関わる中で気づいたことはありますか?また悩んでいる方へメッセージをお願いします。

 僕が思うのは、手放しで「別に学校なんて行かなくてもいいよ」と「行かなくてもいいや、大丈夫、大丈夫」というわけではないと思うんです。ただ「行かない」という選択肢もあって、その中でいろいろ試行錯誤しながら、悩んで、正解のない中模索することが大事だと思います。「行けないし、行かないし、どうしよう」と悩むのは当たり前で、それはすべて間違っていないんです。「ああでもない、こうでもない」と考えた全てが、結果的に一つの道になっていくと、心のどこかでそう思っていて欲しいです。
 客観的に考えて、大人になってみると学校に行っていなかったということは、それほど問題になりません。大学生になったらそんなのまったく関係なかったですよ(笑)。むしろあの日々がなかったら、漫画をこんなに続けていなかったと思うんです。当時は嫌なことがあるたび漫画に没頭していて、それが心の支えになっていましたからほかの子よりたくさん描いていたと思うんです。
 今悩んでいる人は、未来はないように感じるかもしれませんが、道は決して絶望につながっているわけではないんです。少なくとも僕はそうでした。


たなぞの・しょういち
●漫画家、イラストレーター。
小学・中学時代を不登校として過ごし、13歳の時、かねてよりファンだった鳥山明と出会う。17歳の時に河合塾 COSMO名古屋校へ入塾。 大学入学資格検定(現在の高等学校卒業程度認定試験)合格後、 2002 年名古屋芸術大学入学、2007年卒業。
河合塾美術研究所こども教室講師、日本デザイナー学院名古屋校マンガコース講師。

棚園さんが通った河合塾COSMOについては【コチラ】!!