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生きること・働くこと①
「何もしない、何もできなくても生きる権利があるんだよ」

 2018年6月12日

 
後ろは千メートル級の山々、前は黒潮がぶつかる海。島を出るには勇気が必要だ。


はじめまして。これから10回にわたって、私の60数年の人生の中でぶつかってきた壁や悩み、喜びなどから、皆さんの参考になりそうな話をしてみたいと思います。

私が社会に出てはじめてやった仕事は新聞記者です。右も左もわからない状態で、ただやたらと人の話を聞きに走り回ったことを覚えています。そんなとき、“植物人間”(これは今では差別用語かもしれません)の状態になった小学生をずっと看病している母親に取材することになりました。その子は、開いていたマンホールに落ちて頭を強打し、意識のない状態になってから何年か経っていました。母親は市役所の落ち度だと裁判に訴えていました。私は、母親の苦労話を聞きに行ったのです。

母親は毎日、我が子の体をさすっていました。私から見るとその子は何の表情も出さず、何の変化もないように感じました。私は「ああ、この子のためにこの母親は人生を棒に振ってしまった。子どもが死んだ方が母親のためには幸せかもしれない」と思ってしまいました。でも、母親は言いました。「この子をさすってやると喜ぶ。笑うんですよ」。母親は布団の中に手を差し入れて、子どもの体を大事そうにさすっていました。私にはそれでも子どもの表情はわかりませんでした。そのときはっと思ったのです。「この母親にとっては、我が子が生きがいなんだ。この子が生きていることが母親をも生かしているんだ」と。

実は、私にも同じような経験がありました。大学2年生のときに父親が肺がんで亡くなったのですが、看病に疲れ果てた私は「どうせ助からない命なんだから、もう死んでくれないかなあ」という思いがときどき脳裏を走ったのですが、父が死ぬ間際に母が叫んだのです。「寝たきりでもいい。話さなくてもいい。生きてるだけでいいから死なないで!」。私は頭をガーンとハンマーで殴られた思いがしました。

新聞記者を4年で辞めてから、脳性麻痺の重度障害者を介助するボランティアを10年間やりました。はじめは1週間に2回ほど泊まって食事を作ったり、外出につきあったり、街頭で障害者差別問題を訴えたりする手伝いをやりました。口に出さなくても「障害者は何も生産しないのにお金だけいる厄介者だ」と考える人が多い時代だったように思いますが、私はもう、そのような考えも迷いもなく、障害者を友達として付き合うことができました。

「働かざる者、食うべからず」は嘘だと思います。働けなくても生きる権利はあります。日本国憲法第25条にも、生存権(人間が人間らしく生きる権利)として無条件に「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」が保障されています。

「働けるのに働かない人を助ける必要はない」という人がいますが、私は反対です。働きたくない人が無理して働かなくてもいい社会が豊かな社会だと思います。働きたい人だってたくさんいるんだから働かない人の分まで働けばいい――私はそう思います。

次回は、ホワイトカラーとブルーカラーについて考えてみます。