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通信制高校と「その後」#02(前編)
「独特の環境で、たくさんの「失敗」を経験できた」Rさん

 2024年3月18日

 

Rさん(24歳・男性)
通信制高校:松陰高校みなとみらい学習センター 卒業


中学生の頃、人間関係や学力面での不安があったRさん。14歳のときに自閉スペクトラム症の診断を受け、当時は「受け入れることができなかった」と振り返る。高校はご自身の不安に対してサポートがある通信制高校を選択。「無学年制」の学校生活と先生との対話の中で、徐々に自身の特性を客観的に捉えられるように。卒業後は英語を学ぶために通信制の短期大学へ進学。現在は卒業した通信制高校で勤務しながら、通信制大学で英検準1級合格や英語の教員免許取得を目指して勉強を続けている。

聞き手:miki(チャレンジドLIFE)

2児の母。息子(中3)が自閉スペクトラム症。知的障害のない発達障害児であるわが子の小学校、中学校、高校の進路選択に毎回悩んできた。チャレンジドLIFEのスタッフとして、将来の就労を見据えた情報収集、発信を行っている。


[幼少期から中学生までの様子 ]
自覚のなかった困り感。クラス替えきっかけで不登校に。
14歳で診断受け「隠して生きていきたい」と思った


miki:まずは幼少期の様子を教えてください。

Rさん:小1までは問題なく過ごしていました。小3でクラス替えがあり、仲の良い友達と離れてしまい、環境の変化に適応できず不登校になりました。でも、そのときは長引かずに2学期からは復帰できて、その後はたまに仲間外れにされたりしたこともありましたが、あまり気に病むことはありませんでした。

今振り返れば、コミュニケーションに問題があったと思います。自分の反応がおそらく「普通はこういう返事が返ってくるのに、なんか違うよね」というような、一言で言うと“変な感じ”だったのだろうと。ただ、当時の自分にはそのような自覚はなく、特に大きな困り感や問題を感じることもなく、小学校卒業まで過ごしました。

miki:学習面での困りごとはありましたか?

Rさん:それも今思い返せば……という感じですが、算数が苦手でしたね。繰り上がりでつまずき、暗算もできませんでした。算数の取り出し授業にも行っていましたが、自分としてはなぜ行っているのかわかっていませんでした(笑)。漢字も覚えにくく、書きにくい。似た形の漢字に混乱したりすることが多かったです。

miki:なるほど、今思えば発達に凸凹がある傾向はあったものの、当時は特にご自身では大きな困り感を感じることはなかったのですね。中学校に進学された後はどうでしたか?

Rさん:学力面では、小学校時代以上に、できることとできないことの差が大きくなりました。数学や理科は授業についていけず、一方で、文系科目は問題なく、特に英語が好きでした。

miki:英語が好きになったのには、何かきっかけがあったのですか?

Rさん:パソコンがもともと好きで、ちょうど音声アシスタントが出てきた頃でした。まだ英語しか対応していなかったんですが、それを使ってみたくて…。be動詞もわからなかったんですけど英語を話してみたんです。すると、ちゃんと英語で反応してくれる。完全な英文でなくても、単語だけで反応があって、それがとてもおもしろくて。あと、当時ポケモンのオンラインゲームをしていて、英語だとポケモンの名前が違ったりするのもおもしろくて、もっと英語ができたらいいなぁと思うようになりました。

miki:興味があったパソコンやゲームがきっかけで、英語が好きになったんですね! 勉強以外の学校生活はどんな様子でしたか?

Rさん:小学校のときと同じく、中2のクラス替えで仲の良かった友達と離れたことで不安感が強くなりました。特にそのときは、周りから悪口を言われているのではないかという被害妄想も出てきてたんです……。それで、中3の5月から不登校になり、卒業までほとんど学校には行きませんでした。

miki:このときは学校に行かない期間が長かったのですね。自閉スペクトラム症の診断を受けられたのもこの時期でしょうか?

Rさん:はい、14歳のときに 診断を受けました。とてもショックでしたね。自分ではそれほど困っているという自覚がなかったので、「障害者なのか……」と落ち込み、なかなか受け入れることができませんでした。できることなら、自閉症であることを隠して生きていきたい、自分はいないほうがいいのかな、とまで思っていた時期もありました。


[通信制高校との出会い]
中学校の先生は特別支援学校を紹介
出会った通信制高校は「ありのまま」を見せてくれた


miki:自閉スペクトラム症の診断を受けたのは、つらいことだったのですね……。障害のことがわかり、中学校に行かない中での進路選択は、どのように進めていったのですか?

Rさん:不登校や学力の凸凹が大きいということで、中学校の先生からは特別支援学校の高等部を紹介されました。当時は今よりも通信制高校が一般的ではなく、不登校や学習面で課題がある子は、特別支援学校の高等部へ……という認識だったようです。その頃、親が通信制高校の説明会の情報を見つけてきてくれました。中3の9月に学びリンクさんの合同相談会に行き、不登校や発達障害のサポートをしてくれる高校があることを知りました。

miki:数ある通信制高校の中で、最終的に松陰高校みなとみらい学習センターに入学しようと思った決め手は何でしたか?

Rさん:合同相談会の後、いくつかの学校へ見学に行きました。正直言って、オープンスクールのためだけの授業、お客様向けの授業のように感じた高校もあった中で、一番「普段通り」「ありのまま」を見せてもらったのが松陰高校みなとみらい学習センターでした。同じ校舎に中学生が利用できるフリースクールもあり、当時不登校中だった私は、入学前にそこへ通うことにしたんです。フリースクールでは先生と1対1でお話ができ、中3の3月まで楽しく通い続けられました。その中で、私の特性をサポートしてくれる学校だと安心できたので、引き続きその通信制高校にも入学したんです。


[通信制高校での学校生活と自身の変化]
「空気が読めていない」
たくさんの失敗を通して、自分の特性を客観的に知れた


miki:通信制高校時代はどのような生活をされていましたか? 通い方やほかの生徒さんとの様子などもお聞かせください。

Rさん:週3日通学するコースを選びました。特徴的だったのは、クラスというものがなくて、1年生から3年生までが一緒に7、8人の「ユニット」と呼ばれるグループを組むんです。そのユニットで学校生活を送っていくのですが、ユニットには年上の人もいるので、最初の頃は、敬語が使えないことをよく注意されていました。私は中学校まで部活動の経験がなく、同じ学年の人しか関わりがなかったため、この時初めて「気持ち良いコミュニケーションのためには敬語を使う必要があるんだ」と理解しましたね。

miki:それはとても貴重な経験でしたね。敬語のこと以外にも印象的だったことはありますか?

Rさん:コミュニケーションの面では、本当にたくさんの失敗をしてきました。先生が何でも率直に言ってくださる方で、毎日のように「空気が読めていない」「人との距離感が適切ではない」など、自分の特性をはっきりと指摘されましたね。

miki:そうだったんですね。先生から指摘されるのはつらいことではありませんでしたか?

Rさん:最初はびっくりしましたが、嫌ではなかったですね。今までそんなふうに言ってくださる方はいなかったですし、振り返ると、中学時代まで自分が特に困り感を感じていなかったのは、おそらく自分が何かをやらかしても「あの子はああいう子だから」とスルーされてきたからなんだろうと気づいたんです。そのために自分の抱えている問題に気づける機会がなく過ごしていたんだと。

それに、先生は私の問題を指摘して終わりではなく、何がどうよくないのかを教えてくれたり、改善策についても一緒に考えてくれたりしました。そこから、自分でもどうすればよかったのかを考えるようになっていき、そのおかげで、少しずつコミュニケーション力も上がっていったと思います。

miki:なるほど、高校での先生やご友人との関わりの中で指摘を受ける経験があったからこそ、自分の特性を客観的に理解することができるようになったんですね。

Rさん:在学中に好きな子ができて、その子の周りをいつもウロウロしちゃったときがあったんです。 それも注意を受けたんですが、言われてみれば、小学校も中学校も、クラス替えで仲が良かった友達と離れたことがきっかけで不登校になっていて、自分はどうしても特定の人に「過集中」してしまう特性があるんだなと、そのとき客観的に理解できました。

そうしたことって、大人になったらわざわざ指摘してくれる人はいないだろうし、だからこそ、高校時代に言ってもらえたことは本当にありがたかったです。今でも人の様子をうかがうことは難しいですけど……。



(後編に続く)