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椎名雄一先生コラム『不登校に効く心理学の話』18
絶望を感じる子どもの共通点(子ども用の世界は人生ではない)

 2023年1月16日

 


カウンセリング室の椎名雄一です。
日々皆さんとメッセージのやりとりをさせていただいたり、カウンセリングをする中で気づいたことや傾向などをこのコーナーでお伝えしています。

皆さんは年末年始をどのように過ごされたでしょうか?
私は1年に1度のまとまった時間が取れる年末年始に小屋を1つ作りました。森の中に適当な場所を見つけ、下草を刈り、レーザーの水平器で地面を平らにする。そこに基礎を置いて、木を立て、床をはり、壁を立ち上げて、三角形の屋根をつける。屋根にはアクリル板を貼り付けて光が入るように、、、、

なぜ今回は小屋の話かといいますと、、
小屋を建てる場所を見つけるために森の中をうろうろしているときには「景色の綺麗なところ」「空がよく見えるところ」と森の景色がとにかく宝物に見えました。石の壁を作ろうと地面を掘り返しているときには大きめの石や平らな石が出てくるとそれも宝物のように見えました。小屋の屋根の上からの景色も小屋の中から見える青空も宝物。遊びに来てくれる小鳥も宝物に見えました。

人は本来、森羅万象と関わって楽しめる性質を持っていると思います。
ご来光に感動したり、温かい日差しにホッとしたりするのもそれに近いかもしれません。

しかし残念なことに最近では誰かが作ったものを購入するくらいしか宝物を手に入れる方法がない人も少なくありません。「ただの石」が欲しくて、地面を掘って掘って掘って手に入れた喜びは何万円分のガチャの喜びに勝るものがあります。

「素敵な小屋を立てたい」という思いを持つと石も土も木も景色も宝に見える。

これは大きなヒントを隠していると私は思います。

海に行って、貝を拾い始める。
その途端に貝殻は宝物になって、僕たちを楽しませてくれる。
森の中に昆虫採集に行く。今度は昆虫が楽しませてくれる。
宇宙の謎に興味を持てば宇宙が楽しませてくれる。

その楽しめるモードになれば「石」だって「貝」だって「虫」だって宝物だ。
今の子どもたちに大人はそれをどれほど伝えているだろうか?

火打ち石を100回200回と打ち付けてついた火はやっぱり宝物だが、つまらない大人はすぐにライターを渡してしまう。「火がついてよかった」ではなく「火の価値を落としてしまった」のだ。

退屈な時間が3時間続いたあとならば誰かとの会話も楽しいかもしれない。
お腹が空いて死にそうな時の食事はどんなものでもご馳走に感じる。

僕は8年間、誰にもあてにされなかったし、何も頼まれなかったから、誰かに期待されることや頼まれることは涙が出るくらい嬉しい。

退屈になる前にタブレットでアンパンマンを見せ、お腹が空く前にお菓子を口に入れ、、、それら全ての価値を落とし続けて育った子は何を宝物だと思うのだろうか?

世界中に宝物などひとつもないと絶望してしまいはしないか?

失敗や苦労や我慢や悔しさや涙は世界中が宝物で溢れていることを教えてくれる。

「うまくいかない」そう思うときにこそ、モノの価値は生まれる。ありがたみが生まれる。
そして、感謝の気持ちも生まれてくる。

「うまくいく」の中は実は空っぽなのかもしれない。